創価学会員との関わり
当時、仲の良かった友達(学会員)に誘われて創価学会講堂に行った。ビデオを見せられたときは「偽善だな」と直感的に思った。理由などない。理性で判断したんじゃない。感性で判断したんだ。ニコニコ顔の幹部たちは詐欺師におべっかを使う偽善者に見えた。 学会員が一斉に読経を始めたときは、その迫力に圧倒された。感動はなかった。今の集団ストーカーみたいなSF(現実離れした現象)の世界に迷い込んだ奇妙な気持ちにさせられていた。 帰り際、グルリと100人位の学会員に囲まれた。素敵な男性もいたので留まった。彼らは口々に、「あなたがここへ来たのは偶然ではない。神に導かれたのだ あなたは私たちと一緒に学ぶべ運命だ 断ったら一生後悔する・・」と。 私は「自分の人生だから後悔はしない 人間は自分自身でいろんな苦難を克服していくことでしか心は鍛錬できない」と自己主張を繰り返した。それでも次から次へと違う学会員たちの質問攻めにあった。延々と1時間ばかり彼らの説教が続いた。 一部の学会員たちは、哀れみの目で私を見つめていた。また一部の学会員たちは憎悪の目で見ていた。 また一部の学会員たちは、小ばかにした態度を示していた。私は内心「こんな根性の悪い、意地悪な人間たちのいる学会に生涯関わりたくない」と思った。友達は「ごめんね 別に勧誘が目的じゃなかったの、話を聞いて貰いたかっただけなの」とさかんに謝っていた。私は個人的には彼女が好きだったし、尊敬していた。 彼女が帰り際、私に言った言葉は今でも心に残っている。 「あなたの思想は、簡単明瞭だが、非の打ち所がないほど完璧だわ でもあまりにも自然すぎて、当たり前すぎて人々の心を捉えるのは難しいわ」と。 思想ね〜と思った。そんな大げさなと思った。 わたしは子育てに「ルソーの自然主義」を参考にした。つまり、よけいな知識を教え込まない。年齢に相応しいしつけを最優先した。宗教なんでとんでもないと思っていた。白紙の心、純粋無垢な心の教育には、簡単明快な「自分の心の働きを意識する」教育をしてきた。 私の子供は天真爛漫で素直に育っている。しかし、真実を見る目は確かだと思うが、悪を見抜く力は弱いかのしれない。悪意を持って近づいてくる人間への警戒心は少ないかも。 でも、それで良いと思っている。あとは、自分自身でそのつど乗り越えていくしかないと思っている。今の私のように・・・。 |
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