従軍慰安婦って売春婦なの?


「強制連行」という言葉は戦後にできた言葉です。

国家総動員法により、昭和14年(1939)7月に公布された国民徴用令により徴用された朝鮮人は敗戦後、GHQや日朝赤十字の帰還事業によりほとんど帰っています。無料で帰れました。

現在残っているのは自主的に自らの意志で残った人たちです。何故、彼らは母国に帰らなかったんで
しょう?在日一世60万人は・・朝鮮動乱・光州事件・済州島4,3事件から逃げてきた人 あるいは密入国し在日コリアンとなった者も多い つまり強制連行ではなかったのです。

しかし韓国人の意識は・・・
自分たちは植民地時代に強制的につれてこられたのだと、これはアイデンティティとしてそうなって
しまっているんです。実際は強制されて来たのではなくても、強制されて来たんだという物語をつくって自分の意識として持つ。ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合の大きなポイントです。(中略) 

それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。 なぜか?・・・民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。つまり意識と実際は違うということです。

●朝鮮での虐待・貧乏に耐えかねて裕福な日本国に来て働く事にする。
●そんな折、日本の敗戦になり在日朝鮮人に自分の国へ帰るよう手筈を整えるが居座る三国人。
●しばらくして朝鮮戦争による南北分断になると「祖国統一までは帰れない。」と言い出す三国人。
●それがいつの間にか「強制連行された!」と騒ぎ出す在日朝鮮人。
●従軍慰安婦になる事を強制されたと騒ぎ出す在日朝鮮人。
●外国人であるにも拘らず日本国の参政権を欲しいと言う在日コリアン。
●「じゃあ日本に帰化すれば?」と言うと拒否する在日コリアン。

まあ こんな感じ。

なぜ、日本国民は真実を知らないか
@ 戦後の左翼教育(日本人は朝鮮人に悪いことをしてきたとの自虐教育)
A 自分たち(在日韓朝人)は強制連行されてきたのだと間違った認識を植えつけられた(学校教育や
メディアの偏向報道などにより)

以上はネットからの情報です。


「慰安婦」強制連行の虚説
日中戦争や太平洋戦争当時、慰安所と呼ばれた売春施設で日本兵の相手をした女性たちを従軍慰安婦と呼んでいる。制度としては、日本兵相手の「管理売春」という商行為であった。連合国軍がビルマの朝鮮人慰安婦に尋問した結果 (朝日新聞1944年の報告)慰安婦たちは1ヶ月300円〜1500円稼ぎ、
その中から50〜%は売春施設経営者が取った。慰安婦たちの月収は150円〜700円ほどだった。

● 昭和19年ごろの日本人の月収
警察官の初任給 → 45円
理髪料 → 80銭銭湯 →1 2銭
早稲田大学の年間授業料 → 340円 

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韓国外務省は、韓国人が、自ら進んで慰安婦になったということを認めたくなかった。平成5年8月、
当時の官房副長官石原信雄氏は、韓国側の要請で 行った聞き取り調査で「慰安婦強制連行」という
結論を導いてしまった。しかし、後に、彼の結論は全くの嘘であることが証明され、本人もフィクションであることを認めている。

1991年朝日新聞は吉田清治の嘘の証言を真実として報道、宮澤首相訪韓に合わせて「挺身隊の名で連行された慰安婦の数は8万人とも20万人とも言われる」という嘘の解説を載せた。その結果、1992年1月宮澤首相は韓国で、この件について謝罪せざるを得なかった。 

また、日本政府は6人の強制連行被害証言を受け入れたが、その6人は、先立って東京地裁に提訴していたが、その訴状の内容は、強制連行ではなかった。つまり、売春経営者に騙されて連れて来られたものだった。

● 日本統治時代の朝鮮半島は法治国家
朝鮮も同じ国内でしたから、法治国家として司法の三審制度も整い、警察権力もしっかりしていた 婦女子を強制的に連れ出すことなど、当時の朝鮮ではとうていできることではなかった。無法地帯ではないので、慰安婦を強制的
に本人の意思確認のせずに連れて来ることはなかった。

「従軍慰安婦」は戦後日本の「集団就職」と同じ。当時の朝鮮人商売人が 日本の兵隊は女に飢えているだろうと思って朝鮮人女性たちを騙してかどうか知らないが 連れてきただけの話である。 彼女らは高額の給与に魅かれて志願してきたのである。


日本の危機を訴える女性グループ「そよ風」のメンバーと
外国人参政権に反対する会の村田春樹さん